夢と表現とブルーピリオド
ここ、に書くのか……
すごく迷ったけど今どこかに残しておきたくて書く。
ダンス歴で言うと、15年
文字書き、と言うのもあれだが脳内が文字でいっぱいになってからも10年以上経っている。
音楽だけは物心ついた時から幅広く聴いてきた。
ブルーピリオドを見て気づいてしまった。
あれ、私、表現者になりたかったんだなぁ。そうなんだ。そりゃそうか。
思えば小さい頃から、怒られたりイライラしたら部屋で踊っていた。即興で。
今でも踊る。すぐ踊る。
どうしようもない感情は、ノートに書いた。
どうしようもない感情が文章にならない時は、音楽を聴いた。
自分の感情を歌詞に昇華して、それをまたノートに書いたりした。
大学2年で始めた日記は、今まで続いていて5冊目だ。
小さい頃からそうやって生きてきたんだ。って今更気づいてしまった。
大学3回生になってから、就職活動をしていても何かが違った。何が違うか明確にわからなかったが、とにかく、コレじゃなかった。
音楽やダンス、文字や演劇が好きなのは自覚していた。だからそれに関われる仕事を探した。なんなら今も探している。そうやって就活をしている。
でも違った。
表現を売る人じゃなかった。
表現する人になりたかったのか。私は。
今更気づいたって苦しいだけなのに。
高校生で進路を選ぶ時に、専門学校も視野にあった。有名な芸術学部も見学に行った。美大のパンフレットだって飽きるほど見たのに。
そっちの道は選べなかった。
何故か。
勇気がなかったのだ。
あとは思考が固かったんだと思う。
社会のレールから外れることが怖かった。今考えたらレールってなんだよって思うけど。表現者が何も心配なく生きていける世界ではないと、判断した。
今になって気づいたのは、普通の大学を選んでも心配なく生きていけたりしなかったこと。
「普通の大学なら、」
ブルーピリオドでも佐伯先生に言われちゃった。私が言われてるのかと思った。
八虎、わかるよ。
痛いほどわかる。自信がなくて、間違えるのが怖いよね。私と八虎は似てる。
でもどうしても私は八虎になれない。
絵の世界に飛び込んだ八虎にはなれなかった。
ついでに言うと努力の才能もない。努力の才能というか、努力をしようと決められる力がない。
努力して、それ否定されたら怖いから。
いつかの八虎みたいだけど、私のはスタートラインだ。
ああ、いいなぁと思う気持ちと、嫉妬で身体が燃えそうになる気持ちと。
好きなのになぁ、こんなに。
あと一年で社会に出たら、私のこれは「趣味」に成り下がるんだろうか。
一生「夢」にはなれないんだろうか。
きっとそんなこともなくて、大人になってからでも、ライターや小説家、音楽家だってダンサーだって目指せばいい。
でもひとつの区切りとして。
「もうなれない」が重くのしかかる。
だから私は諦めることにした。
一度全部しまって、就職活動をしている。
営業だって販売だって出来ないことはない。
それに、明確な才能の差が出るわけではないから。ましてや新卒採用なんて、完全にポテンシャルだ。強いて言うなら話術だろうか。
あぁ、なりたかったなぁ、表現者に。
最近気づいたことは、私は「表現者だった自分」を推しに投影することで生きている。
私の推しである岡宮来夢くんは眩しい。
とにかく眩しい。今を輝いている。
人生何周目なら、舞台俳優になる分岐を選べるんだろうか。あと5周くらいしたら私も表現者になれるかな。
自分が出来なかったことを、一生懸命にやる彼を見て、夢を叶える彼を見て、ありがとうと思う。
彼の夢はきっと私の夢でもあった。
厳しいなぁ、勇気がない人に世界は厳しい。
こんなことを言っているけど、きっと就職しても文字を書くことはやめないし、突然踊り出すし歌い出す大人になるんだろうな。
どこかで諦めきれないから。